2014年3月5日~5月4日
Cinémathèque française
『Hisamitsu Noguchi The Graphic Works』展
2014年は「日仏文化交流90年」。
この記念の年に世界の映画人憧れの聖地 シネマテーク・フランセーズにて野口久光の展覧会を開催。
フランスは、映画芸術とポスター芸術を生み、育んだ国。 そしてそのフランス、パリにあるのが、世界で最も権威がある映画博物館シネマテーク・フランセーズになります。
この展覧会はフランスの方々はもちろん、世界の映画人に野口芸術を紹介するものとして画期的なもので、映画を通じた日仏文化交流事業として大変意義のあるものと言えます。
パリ、シネマテーク・フランセーズでの「野口展」は好評のうち閉幕しました。記念カタログやポストカードも完売!
フランスの映画ファンにも野口作品の魅力が充分伝わったと改めて実感しました。
k秋に開催される「フランソワ・トリュフォー没後30年特別展」でも野口の『大人は判ってくれない』が紹介されますので、そこで今回以上の評価を得るのではないかと期待しています。
なにせ10万~20万人以上の来場者が見込まれる大規模展ですので・・・。
パリシネマテーク展覧会、掲載記事の参照ページ
http://www.kawakita-film.or.jp/kokusai_3_2014_noguchi.html
「パリ滞在記」-その1
「映画とポスター芸術の発祥の地フランス、パリで野口の作品展を」というのが目標であり夢であった。
野口の生誕100年にあたる2009年に美術館で開催するという夢が叶い、そして今回17年の歳月を経て、ついにパリで、それも世界で最も権威があり、
映画人憧れの聖地シネマテーク・フランセーズでの開催となったことは野口にふさわしい舞台になったのではと、とても誇らしく思っている。
日本では映画は単なる「娯楽の扱いだが、フランスではダヴィンチやルノワールなどの名画と同じく「芸術」として高いステージにあることを目の当たりに感じた。
シネマテークでは丁度ジャン・コクトー展が開催中で、平日でもひっきりなしにお客が訪れていて、学芸員に「平日でも結構入っているのですね」と聞くと、「大きな展覧会ではないからそれほどではない。2012年に開催したティム・バートン展は5ヶ月間で40万人を動員した」と平然と言うのを聞いて卒倒した。
日本で40万も入る展覧会は大手のメディアが主催し、協賛するような大規模な展覧会しかないし、まして「映画」がテーマの展覧会では桁が1桁以上違う。
それだけ映画そのものに市民レベルで高い関心があり、文化として成熟しているのだろう。
野口久光の没後20年目にあたる年にシネマテーク、映画の聖地で開催出来たことは意義のあることだと思う。
シャイで生涯自分のことより人を紹介することに熱心だった野口であったが、今回のパリでの展示はきっと喜んでくれているような気がしている。
「映画」と「ポスター」に高い美意識を持つといわれる“今”のフランス人に野口のポスターがどのように受け入れられるのか……、少なくとも展示を担当してくれた
シネマテークの精鋭スタッフからは「野口の作品は素晴らしい!」と口々に称賛してくれたことは期待できそうな予感がする。
会場はシネマテークの創始者のアンリ・ラングロワの名前が付けられた劇場ロビーで、シネマテークの劇場の中で最も大きいフロアの壁面を飾っている。
ここでは連日500名以上が映画上映の前に列をなして壁面を眺めることになるので、2ヵ月の会期中には延べ3万人以上が野口作品を見ることとなる。
野口の作品を“現在”のフランス人に見てもらいたいという主旨からは、最適な場所かもしれない。
会期は5月4日まで。
その後10月7日~12月7日にかけて京都文化博物館において、充実した数の野口作品の美術展が開催される予定。
「パリ滞在記」-その2
今回のパリ訪問の目的はもちろん「野口展」の展示を確認するためではありましたが、もうひとつ大きな秘めた目的があった。
それは野口がかつてフランソワ・トリュフォーに気前よく進呈した傑作「大人は判ってくれない」の原画の行方を確かめることであった。
1963年の第3回フランス映画祭で来日したトリュフォーに進呈された原画は、その後彼の生涯の大切な宝物としてオフィスに飾られ、彼の死後フランスで出版された分厚い追悼本の表紙にも採用されたが、トリュフォーが亡くなって以後、その行方は全く判らなくなっている。
家族が持っているのか、スタッフの誰かが引き継いだのか……、その行方は杳として判らない。
彼の死後、多くの遺品はシネマテークに寄贈されたが、その中に「原画」は含まれていないことは、これまでの調査で判っていた。
また日本からの依頼では埒が明かないこともこれまで何度か経験していたので、ここは本丸を攻めることが肝要と策を講じた。
トリュフォーが亡くなって30年目の今年、シネマテークでは秋に大規模なトリュフォー展を開催する予定と聞いていたのと現館長のトビアナさんが大のトリュフォーフリークと知っていたので、彼と会う時に備え、隠し玉でトリュフォーが来日した際に野口が撮影した秀逸なポートレートをバッグに忍ばせておいた。
展覧会初日のカクテルに狙い通りトビアナさんが現れたので、まず今回の図録を渡し、彼が頁をめくりながら「素晴らしい!」とかなんとか言っている間にバッグから件の
ポートレートを差し出すと案の定トビアナさんの目の色が変わった。
通訳を介し「これは野口が撮った写真です」と伝えると「トリュフォーを写したものでこれほど素晴らしい写真は見たことがない。これ、貰えるか」というので、「あなたに差し上げるために持ってきた」と伝えると、ニコッと笑って握手をしてくれた。そこで「実はお願いがある…」と例の原画の行方を捜して欲しいとのお願いをしたところ、
居並ぶスタッフを前に「シネマテークのミッションとして検討する」と言ってくれた。
220名のスタッフの長であるトビアナ館長から「ミッション」の言質を取り付けたこと、またトリュフォーそのものの評価がフランスでは映画人を超えた高いものがあることから、原画の行方が明らかになる可能性があるかもしれない。
もし見つかれば是非里帰りさせたいと思っている。
ミッションに期待したい。
「パリ滞在記」-その3
トビアナ館長に渡したトリュフォーの写真は、野口先生のご遺族のところに残されていた膨大な量のネガから発見されたが、その中には1950年代後半以降日本にやってきたエリントンやベイシー、グッドマン、モンク、ロリンズなどなどジャズ史に残るジャイアントたちを写した見事なカットが含まれている。
その一部はYAMAHAから刊行された野口久光のジャズ評論集「ジャズ・ダンディズム」にも収録されているが、それ以外にも1958年にカンヌ映画祭に出席した際に訪れたパリで撮影された素晴らしい写真が数多く残っている。
今回のパリ訪問で、シネマテークの人や関係者に「野口はフォトグラファーとしても超一流だった」ということを伝えたくて20葉ほど持参してみたところ、予想もしなかった提案があった。
「野口の写真集をフランスで出版しないか。フランスで売れている写真家の作品より野口の方がはるかに素晴らしい。野口が撮ったヌーヴェルヴァーグの映画に出てきそうなこれらの写真は、フランスで充分受け入れられると思う」と。
フランスではどんなに有名な作家でも自分の目で見て認めなければ評価を与えないと聞いていた。
かつて日本の高名な画家が生涯に一度パリで展覧会を開催したいと高額な金と桃山時代の屏風を贈り、パリで展覧会を開催したことがあった。
パリ中の文化担当の記者を招き、豪華なレセプションを開催したにも関わらず、誰一人としてその展覧会の記事を書かなかったといわれる。
芸術や文化に対して厳しい審美眼をもっているパリ、そこで認められたいという思いが、今なお世界中のアーティストを惹きつけているパリの魅力なのかもしれない。
野口の写真集がフランスで出版されるかもしれないなんて夢にも考えていなかったので、その可否は別としてこの話だけでも今回フランスにやって来た甲斐があったと感じている。
1960年代、日本の映画界や美術関係者が誰一人として野口久光の作品を認めなかったとき、フランス人のトリュフォーがその作品を “ 発見 ” し、“ 絶賛 ”し、惚れ込んだことが、その後の野口の評価につながっていることは間違いない。
シネマテークでのポスター展を含め、パリの映画、美術、出版関係者が野口先生の作品の魅力を“ 発見 ”してくれることを願っている。
『Hisamitsu Noguchi The Graphic Works』展における図録は、フランス語、英語、日本語の3ヶ国語併記で製作されました。
3ヶ国語併記という映画ポスター図録としては世界初となる試みとなった図録は、シネマテークでも絶賛を博しました。